書評 評論文

【書評掲載】『Wonder』朝日小学生新聞2015年9月号 | ほるぷ出版
小学生新聞の書評を集めてもいいかも。


ちょっと小学生のお手本になりそうな書評ということであきらめないでぐぐった。
やはり朝日小学生新聞の書評は参考になりそう。


映画感想文の書き方教えます - Hagex-day info
映画だと撮り方について書けるか。
文章だとライターの書き方について感想を書ける。


書評か感想文って区分けもあまり意味ないかも。
感想文の中でも作品を評価することってある。


同じ本を読んだり、映画を見たりして考えを書くにしても目的によってまたアウトプットが変わってくるか。


小学生のお手本になるような、映画やテレビ、漫画のレビューないかな。これもあるとしたら小学生新聞だろうか。



[読書]生きた物語がたちあがる。原田マハ『暗幕のゲルニカ』 | あすこまっ!
あすこまさんの書評は中高生のお手本にというか、自分がお手本にしたい。


まずインプットが大事だとしみじみ思う。
インプットなしに、アウトプットはないというのは原理。
僕も子どもたちもまず書評を読む事。
あすこまさんのこの書評を読むと、自分にとってのゲルニカ、すなわち自分の話からはじめている。これは読書感想文でも自分のエピソードがよく書かれてるのですが、マンガ評論でも映画評論でも同じでしょうね。


いろいろ読み比べて精査すると、どんなことが書かれているのか、いくつかそのジャンルの特徴をつかめるはず。



映画評論やマンガ評論に手を出すのやめよう。書評だけで。
特に僕の場合、子どもたちの身近にあるものが本で、学校図書館もある。テレビを学校で見ることもマンガを見る事も、映画を見る事も、それぞれ機会が少ない。作文の練習の材料として、書評一本に絞るべきだと思う。


小学生新聞の記者の書評と子どもたちが書いたもので優れたサンプルを少しずつ集めること。

キャシーハーシュ=パセック

子どもの「遊び」は魔法の授業

子どもの「遊び」は魔法の授業

学習=遊び
日本語訳の問題かもしれないけど、
この表現は論理的にちょっと違うかも。

学習の中に遊びがある。

知育の中にしか徳育がないように。


遊びは学習。
しかし、学習が遊びであるとは限らない。


徳育は知育。
知育が徳育であるとは限らない。

だから知育=徳育ではない。


「学習」や「知育」のほうがより広い概念だと思う。


学習の中に遊びがある。


どんな遊びにも学習的な意味があると思う。一人遊びにも。
見たことや自分が遊んだことを振り返って、そう思う。
というか、心理学的には、遊びには学習の意味があるのだ。


遊びには、どのような意味があるのか、心理学的に明らかにするっていう、すてきな重要な研究をされているキャシー先生。


この研究の結果はリーディング・ワークショップにも、イギリスで成功した小学校の事例にも重なる。チョイス。ファン。内発的動機付け。



四つの原理もそれぞれ強烈に大事なものばかりだと思う。
他にもいろいろな方が主張していることでもあるけれど、それだけ大事なんだと思う。
キャシー先生の主張の目玉はやはり遊びについて。


で、大事なことは、あっちでも、こっちでも、いろいろなところで見る。それだけ大事なんだろうな。



ゲントナーと同じで追いかけたい学者さんがまたできた。



学んだことを仕事に活かしたい。



絶版してしまっているけど、すごくいい本だと思う。

構成と非構成、教師側の計画や学習内容の系統性など大人の視点と子どたちの視点、規律と自由など。
教育の中には矛盾するようなことが普通に並立する。
無藤先生が言われるようにたんにバランスをとるということではない。
両方とも必要で考えるべきであるということ。
「子ども中心」という言葉はいいと思う。
学習主体は子どもたちだから。子どもたちの視点を最も考慮すべきだろう。

今求められる学力と学びとは―コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影 (日本標準ブックレツト)

これもすごくよかった。
ウィギンズたちの研究など、評価や教育目標、学力論の昨今の議論がぎゅっとコンパクトにまとまっていて、有り難いです。この本から振り返ると授業改善が具体的に見えてきます。


この京都大学の先生の他の本も読みたい。
アメリカのスタンダードの本もある。このくらいつっこんで論じたり説明したりしたものを読まないと、やはり網羅的にフラッシュカードレベルのことを免許講習みたいに詰め込まれても時間の無駄だとも思い出して思った。


だれもレビュー書いてないけどよさそう。
図書館にない涙
でも幸い上の本にコンパクトにまとまっていると思う。本の解説読んで。

キャシーハーシュ=パセック

会社活動って、遊びでもあり人のためになる、役にも立つという意味で仕事でもある。
遊ぶこと自体が目的で、他の目的に仕えるものではない、遊びが、ということで、かいしゃ活動はキャシーさんの考える遊びから外れるのかもしれない。ただ会社活動には遊びと同じ特徴がある。選択、楽しいなど。


遊びの要素(チョイスなど)を考えても、いろいろ実践について考えさせられる。



言葉遊びって大事なんだなあ。
やはり詩のアンソロジーに言葉遊びの詩は入れたい。
ただ文字と音の対応が全然分からない小学生に僕は出会ったことないなあ。
一年生担任したことないのもあってか。すらすら音読出来ない子はいる。


英語圏の国と比べて日本の子どもたちにLDは少ないと何度か読んだことがある。文字と音の関係が比較的単純だからか。

パパの電話を待ちながら (講談社文庫)

パパの電話を待ちながら (講談社文庫)

「アイスクリームの宮殿」とか、短い話を集める。
ただこのままだと大人向けの表現で厳しそうなので、意味をできるだけ変えないで、小学生向けに表現を修正しようと思う。イメージは谷川俊太郎訳の「スイミー」やローベルの絵本。



5分いのっていこう。ファミレスかカフェでやったる。
ロダーリが一番マイクロフィクション学習材料としてしっくりきた。


星新一と今江さんのも少しだけだけどいいなと思ったがありました。これはもとが日本語なので、そのままで。ただどちらも話が少し長い。

マイクロフィクション

一つ学習材料用にお話をパソコンに打ち込みました。

あまりにひらがなが多すぎても読みづらい。


少し漢字があったほうがいい。さし加減が自分の読んだ感じだけど。


漢字をひらがなにしたり、そのままにしたりした。あと句読点の調整。細かい表現の修正もした。
「できており」とか少し違和感があるところを「できていたので」など修正。

あの短編集を読むとかなり短いいけてる話が10以上あった。もうロダーリだけで十分かも

他の作家のショートショートということで、日本で一番有名な星新一の作品と、今江さんの作品を一つずつくらい紹介してもいいかもしれない。

固有名詞のところを短くカットしようかと思ったけどやめた。それはやらないほうがいいか。


もう一つやってみよう。


つぎは
「アリーチェ・コロリーナ」
これもかわいらしいお話。

キャシーハーシュ=パセック

キャシー先生によれば、
大人が遊びに入ることで、子どもたちのシンボルを操る遊びは豊かになるらしい。つまり学習の質が高まることが研究から分かっているらしい。


でも僕もけっこう子どもたちと遊ぶのがちょっと苦手です(嫌いではないですけど)。
一緒に遊ぶこともあるけど(特に4月のアイスブレイクの時、あと授業中)、
僕は無理して遊ぼうとは思わないです。それもいいんだと思う。人には向き不向きがあるから。


子どもたちにとっては、担任の先生が遊んでくれるって、僕が考えている以上にうれしいみたい。でも中休みとかに僕は子どもたちと遊ぶことを基本的にしないかな。

ちょっと調べると2012年発刊の作品なのに近所の本屋で山積み。ルドルフ映画化のチャンスに売るということだろうか。でもちょうど短いお話を探しているときだから運命みたいなものを少し感じてしまいます。ナツカのおばけ事件簿のもとになった話が入っているみたい。ゴーストバスター。いそいでないので、とりあえず図書館で予約。
https://www.amazon.co.jp/コリドラス・テイルズ-斉藤-洋/dp/4037447800/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1475991384&sr=8-1&keywords=コリドラステイルズ


がまんできないかも。買ってしまいそう!!!


工藤直子だあ。しらなかった。一時間だけ工藤直子の詩の授業してあげよう。話者を当てるという遊びの授業。ケーガンの協働学習で代表がんばれ。ていうか来週、土曜出勤ではないか涙おいらがんばれ。

ショートショート集めはゆっくりやる。冬休みに集まればいい。実はもうそれなりに集まってる。そんなにたくさん必要ないから。十分には足りないし、精選する必要がある。


それにまずはパロディ作文が優先。これで物語にどんな重要な要素があるのか書きながら、表現しながら認識してから次のステップに進むと効果的だろうと考えています



斎藤洋のいけてるショートショートもゲットしたし、ふふふふふふ。




プロップのカードもどこかに混ぜたい。