シッダールタ

尊敬する大学の先輩であり先生がもう一度読んでみるといいと言われたので、
ヘッセ『シッダールタ』新潮文庫を再読。私の悩みに対して、こういった本を頭の引き出しからパッと紹介できるのが凄いと思います。ほんとに在り難いです。
一度目は高校生の時に読んで、
再読する前に覚えていることは、
読んでよかったという実感と「川」というキーワードだけでした。今読むと経験と知識が増えているので内容がよくわかりました。

ヘッセはベートーヴェンゲーテ、そしてカントを生んだ国がどうして、ナチスを生み、戦争に突入することになってしまったのかという問題意識があったそうです。一九一九年に書かれた作品で、ちょうど第一次大戦の停戦後まもなくでした。ヘッセは、戦争中に非戦論を唱えたため、母国からは裏切り者として白眼視されていました。

とにかく学習の振り返りをしないと、僕の場合はすぐに忘れてしまってほとんど何も残りません。
それを何回も痛感して振り返りは大事だなあとしみじみ思います。学校の学習も同じだと思います。

シッダールタは歴史上の仏陀とは、違う人物として描かれています。

一番自分にとって大事なところだけ引用します。ミクシィの一番最初の方に書いた日記と同じ結論ですが、壁とか不安を打ち砕く表現を先輩やヘッセにいただきました。ゴーウィンダはシッダールタの友人。最後のゴーウィンダの章から。

シッダールタ「私は一つの思想を見いだした。ゴーウィンダよ、おん身はそれをまたしても冗談あるいはばかげたことと思うだろうが、それこそ私の最上の思想なのだ。それは、あらゆる真理についてその反対も同様に真実だということだ!つまり、一つの真理は常に、一面的である場合にだけ、表現され、ことばに包まれるのだ。思想でもって考えられ、ことばでもっと言われることは、すべて一面的で半分だ。すべては、全体を欠き、まとまりを欠き、統一を欠いている。崇高なゴータマが世界について説教したとき、彼はそれを輪廻と涅槃に、迷いと真、悩みと解脱に分けなければならなかった。ほかにしようがないのだ。教えようと欲するものにとっては、他に道がないのだ。だが、世界そのものは、われわれの周囲と内部に存在するものは、決して一面的ではない。人間あるいは行為が、全面的に輪廻であるか、全面的に涅槃である、ということは決してない。人間は全面的に神聖であるか、全面的に罪にけがれている、ということは決してない。そう見えるのは、時間が実在するものだという迷いにとらわれているからだ。時間は実在しない、ゴーウィンダよ、私はそのことを実にたびたび経験した。時間が実在でないとすれば、世界と永遠、悩みと幸福、悪と善の間に存するように見えるわずかな隔たりも人の迷いにすぎないのだ。」149項
それに対してゴーウィンダ「どうして?」シッダールタは答える。お話は続く。

一番大事なところといいつつ、かなり長く引用してしまいました。私にとって大事だったのは、「つまり」の後のところです。