貧困の問題は二つの側面から考えることができる。


ひとつは個人の自己責任だという側面。
もう一つは社会のあり方や制度だという側面。
両面ある。


しっかりセーフティーネットなどの社会の制度が整っていて、それを機能させる努力を社会がした上で個人の努力を問うのはいいと思う。しかし、その社会の努力をしっかりしないで、自己責任論のように個人の能力や努力だけに原因や責任を求めることはおかしい。まず変わるべきは社会。湯浅さんに共感します。


国をどうしたいかとか制度や構造に気づいていくには言葉が必要で知育の問題。知育のない道徳教育なんてあり得ないですね。知育を基盤にはじめて道徳教育がある。中学を卒業する時に、こういったことに気づけるような知性が育つ教育になってないとダメなんじゃないかなあと逆巻きに考えます。真面目に授業は受けていましたが全然分からなかったし気づけなかった。自分で勉強してこういった問題にいくらか少しでも関わることができてはじめて気づけた。政治経済は道徳倫理と切り離してはいけないものだ。だから道徳の徳目だけおしつけて終わったら絶対にダメなんじゃない?表面的な知識だけを覚えさせるような社会科で終わったら絶対にダメなんじゃない?国や制度について真摯に探究するような経験って必要なんじゃないかなあ、義務教育に。それがなくてどうやって教育基本法の目的を達成することができるのかな。それがなかったらできないんじゃない?中学生にキャリア教育要る?もっとやるべきことがあるんじゃない?


自己責任論が跋扈するという結果が教育の課題の象徴だと考えます。
湯浅さんの本は教育の問題としてもリンクさせて読みました。
ただの自己責任論のような思考停止と冷たさは仕事を妨げる敵。


ただの自己責任論は事実を正確に見ていない。物事は関係しあって現象となる。