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環境は()に入れて自分が生きるうえでは考える。
環境のせいにする=他人の責任にする。自分は成長には繫がらない。
物事は関係性の問題だから。


でもいい学習者っていて、
その子って凄く伸びていく。
いい学習者って誰が相手でもその集団で最大に伸びていく。
なぜなら精神も方法もレベルが高いから。



そうなるとさ、格差って自然に広がっていく。
どんなにさ、大人が優れてもいてもさ、論理的に広がっていくと思う。



それに付随して、本当はさ、いい教育ほど、格差が広がるものかもしれないなって、前から思うことがあって、それ関してまだ結論が出てない。と思ったけれど、論理的には格差って自然で広がっていくものだと思う。だから相対的な問題で格差を少なくする努力にどういう意味があるのか。価値があるのか。それがわからない。格差を是正しようとすることに価値があるのかなあ。いい教育がもしあるして(仮定)、あるとしても、優れた学習者のほうが力を伸ばしていくのではないかなあって思う。


でもそういうことが論理的にも現実にもあるしても、
結局大人ができることは質の高い経験をさせるに何ができるだろうかというデューイの経験論の問題に帰ることになると思う。