今日はジョン・デューイが学習指導要領のような学習スタンダード否定的だった確認。『民主主義と教育』
ないと大変だろうなと思うけれど、デューイが指摘するように、スタンダードによって確かに教員が考えなくなってしまう部分はあるかもしれない。算数が必要だということが自明になっているみたいに。疑って考えてみたところで必要だと思うのですが。
専科制にしないとだめなのかもしれない。図工を教えているけれど、指導要領や指導書などないと辛いかもしれない。すべての教科についてはじめから考えるなんて無理な話だとも思ったけれど、スタンダードがないほうがいいというのはそういうことではないか。仮になかったとしても、一から考えるということではないか。