訓練

Tさん

フーコーは、まさに訓練(ディシプリーヌ)によって、人は、自分で自分を監視するようになると、見抜きました。
こんなことしたら、罰があたるのとちがうか、
こんなことしたら、福運を消すのと違うか、
自分で、自分をチェックするようになる。
江戸時代、徳川幕府と結託して、士農工商の身分差別制度を固定化させた張本人の僧侶に、大我という人物がいます。
その「三彜訓」(儒教神道も仏教もみな同じこと、すなわち因果応報を説いているという書物)に、
「一たび仏法を聞きて因果を信ずる者は、深淵に臨みて薄氷を踏むがごとく、戦戦兢兢(=戦々恐々)として敢えて心を放(ほしいまま)にせず。……万民(悪業の)来報を恐れて、君を戴くこと日月の如くす」とあります。
宿業とか、過去世の因果とかいうのは、本来仏教ではなくて、
佐渡御書で、それは、「世間の人たちのいう因果」と、大聖人は、明確に否定しているのですが。
因果論というのは、明確に、自分で自分をチェックする自己監視のシステムです。

「あなたは、自分で考えているよりも、はるかに自由なのだ、と教えること、ひとびとが、自明で真理だと信じているいくつかのテーマが、歴史のある時点につくりだされたものであり、その自明性は、破壊し、批判することができるものだ、と示すこと、それが知識人の役割です」
晩年のフーコーはこのように語ったらしい。



ブッダの時代と同じか。
因果論で差別制度を固定化する。
差別される階級に生まれてきたのは過去世で悪いことをしていたからだと、
何の根拠もない宿業論で人々をマインドコントロールして自己監視させるようにする。


今の時代のマインドコントロール