所見

通信簿の所見【親子が元気の出る「そのひと言」文例集139】 | 教育事務の学習指導案・授業案・教材 | EDUPEDIA(エデュペディア) 小学校 学習指導案・授業案・教材
前期、後期なので、今通知表の時期で、もうすぐ終わるけれど参考になる。

このページの見出しに
「元気が出る」とあるけれど、
所見って、励まされる、よいところが伝わる、課題が明らかになるなどの、要素が必要だと思う。
かつて管理職の先生が所見に関して若手の先生向けにアドバイスの文書を作ってくれていたのを思い出して、そこには所見の目的が記されていたのだけど、このようなことだったと記憶している。


その文書を探しているのだけど、見当たらない。でもどこかの
ファイルに入っていると思う。捨ててはいないと思うから。


正直、字数が限られていて(学校によっても違う)、
ほとんど具体的なことは書けないと思うけれど、
そんな限られた字数の中でも、すてきな所見を書く人がいたことを思い出す。
どうやったらあんなふうに書けるのだろうか。

子どもがよく見えているというのもあるだろうな…。
あとその制限の中、工夫して書いているなと思う人もいる。



表現の仕方をどう考えるのかも場所によって、人によってバラバラ。それが普通のことだと思う。


ただ目的から考えてよりよい答えがあることは間違いと思う。



いっぱい考えればよりよい表現も出てくるのかもしれない。
それ、以前に子どもたちのことをどれだけ見れているか。



時間の問題もある。
なかなか記述式の評価には時間がかかる。
授業のことも考えないといけないし、
授業の時の形成的評価の方が僕は効果があると思っているし、
そんなに時間を所見にかけていられない。


僕の場合は、時間を決めて、その制限時間内に書き上げるようにしている。出来はよくないけれど、それでよしとする。


場所によってもこだわりが違うので、まずそれを認識し、そのこととの兼ね合いが大事だと思う。「郷に入っては郷に従え」という言葉は九校くらい学校をそれぞれ短いけれど経験して心に染みる。ある学校のある人がよいとしていたことが、所見で言えばその表現が、他の学校、人には否定される。そんなことがたくさんある。その否定される表現も目的から考えると理由があって、必ずしも間違ってはいないと思う。でもそんなこと考えても仕方がない。



自分は書けてないけれど、6、7年間の経験しかないけれど、いい所見だなというのは読んだことがある。手あかにまみれた言葉ばかりではないけれど、平易で具体的に伝わる内容だった。よいところが伝わって元気になる所見だったり、上手な言い方で課題が明らかになる表現をしていたり。温かみというのかな、その人の人格が文章に伝わってくるものがあって、よかった。少しでもまねできればと思う。いいと思ったら、所見例をいただけないかお願いするのって今思うと、大事だと思う。お願いしてもらっておけばよかったな。


課題を伝えるのは神経を使うので難しい。僕はできるだけ所見では課題を伝えるのは避けたいかな。書き言葉って難しい。残るから。直接、子どもに話して伝えるか、保護者の方に話すほうがリスクが少ないかな。それでも効果が期待できない場合は所見に書いてもいいのかもしれない。上手な言い方ができれば書くことの効果をかなり期待できるのだと思う。


課題が明らかになるような内容がないものは、所見としてだめだという考えの管理職の先生もいた(全部となると正直やりづらいのですが、一理あると思います。字数の問題があったり、子どもたちをよく見えてなかったり、自分にも、他ににも問題があるが)。その時は、全員について課題が明らかになるようにかいた。○○について「3学期も指導してきます」などの書き方で角がたたないようにみんな表現していた。この課題を明らかにする書き方のヴァリエーションを増やして、これからよりできるようにしたい。目標。


所見の目的は所見の価値問題でもある。
どのような所見に価値があるのか考え直してもいいかもしれない。
字数などの制限、時間制限などはあるけれど、その中でやれる工夫をしたい。