研究授業が終わったので、簡単に振り返り。


自分は同じ学習材料で少しずつ修正しながらやってきました。これまでの事前に相談したいことを明確に書くということを作文の交流の学習活動に入れてこれなかった時と比べられるのもあって、今日やってみて、予想通り、疑うのが難しいくらい効果的だと分かりました。
一斉にピアカンファレンスを4人グループでやると、45分授業で、モデルを示す時間を考えると、7〜9分くらいしかひとりの相談の時間がとれない(だからこそ相談したいこと、目標みたいなものが話し合う前に明らかだと話し合いの内容がそれていきにくい。会議でいうゴールみたいなもんだと思う)。だからペアでじっくり相談し合う時間にしてもいいのかもしれない。4人だと短くなってしまうけれど、いろいろな人から意見をもらえる。二人で考えるよりも4人が構想を練り上げる場面にはふさわしいかな。
はじめて、構想の段階で話してピアカンファレンスやる授業を一斉にしてみたのですが、課題はあるけど、単元全体を考えると、かなりプラスになりそうです。僕も一緒に書いているから分かるのですが、自分が考えたお話の構想を話すことで、自分の考えたことを整理できて、また考えが足りないところも明らかになります。友だちのアイデアを採用するかは分からないけれど、いろいろ自分の考えたことに対して、アドバイス、質問、よかったところなどを言ってもらえることは、いろいろな意味でプラスになる。
自分も子どもたちと一緒に書いていることにすごく意味があると思う。
モデルを示す段階で自分も子どもたちからアドバイスをほんの少しだけどもらっている(研究授業じゃなかったらここをもっとゆっくりやりたかった。もっと子どもたちの意見が欲しかった)。自分も書いているから、この相談する価値を実感できる。
そもそも一斉に構想を相談する学習の意図は何か、必要性はあるのかという問いを出してくれる方がいた。
一斉にやる必要性は子どもたちの意識には決して出てこないと思います。子どもたちは書きながら、困って、その時に一人で考えたいかもしれないし、その時に相談の必要が出てくるものだから。その必要に合せてライティング・ワークショップでは、個別カンファランスをするわけです。それがベストだと思うけれど、あえて一斉にピアカンファランスの授業をしているわけです。子どもたちの人数が多いとひとりひとりとゆっくり作品製作について教師が話す時間はありません。それを補うためにやっているという感じかな。一斉っていうのは、いつもミスマッチのリスクがある。


この問いついて前にあすこまさんの講座で考えて変わらない。講座で共感したことで、教師の視点のアドバイスだけではなくて、いろいろな視点が(この場合こどもたちの視点)あるほうが健全だろうということ。教師っていうのは、大人の価値観っていうのかな。だいぶ子どもたちとはよいと判断するところなど大きく評価基準などが違う。子どもたちにとって教師だけではなくて、友だちからのフィードバックをもらえることは、多様な視点を得るという点で有意義なんじゃないかな。僕はそう思うけど。それに教師以外の人から認められることがあれば勇気づけになるだろう。


作文の構想の交流で、
いろいろ意見をもらって、別に変わらなくてもいいと思う。
それだけ意見をもらって自分の考えと比べて考えてやはりこれだと変わらないのと、何も意見をもらわないで変わらないでは、同じ変わらないでも、だいぶ違うと思う。
僕は必ずしゅうせいする必要ないと思う。それを指導案にうまく表現できなかった。


今日、下書きをかいて分かったのは、また下書きの段階で、構想の段階で話して考えたことが活きてくる。構想の段階で意見をもらって、すぐに自分の考えが変わるわけじゃない。その場ですぐに変わらないから意味がないということでもない。これはやってみないと分からないんだと思う。