朝読書「社会は防衛しなければならない」 フーコー

フーコーによる講義「社会は防衛しなければならない」の要約から

試みるべきなのは、権力を、関係性の原初的な諸項から研究するのではなくて、関係が及ぶ諸要素を規定している関係性それ自体から出発して研究するということなのである。


構造と言えると思う。あとカントの超越論的思考と似ていると思う。


こうするべきだみたいなこと、価値判断みたいなものをあまりしないという印象がフーコーにはある。何かを暴く感じ。

Tさんがフーコーを重視するのはおろらく目覚めた人(buddha)に繋がる人だからだと思う。



だが、まず問われるべきなのは次のような問いである。すなわち、どのように、いったいいつから、ひとびとは、いかにして、権力諸関係において機能しているのは戦争であり、中断することのない闘争が平和を動かしており、市民秩序とは基本的に戦闘秩序である、と思うようになったのか。


こんなこと思ったことねえよ笑
とツッコミたくなるけれど、これがこの講義の中心の問いらしい。
このあとに要約でも、このことをフランスとイギリスを事例から論証していた。


この要約では、この問いの答えを明らかにして、こうするべきだとか、価値判断みたいないことを一切していないと思う、フーコー


反福祉論に繋がる話かもしれない。
福祉も権力闘争の現れだっていう。
そこからも漏れてしまう人々、忘れ去られた人々たち。


福祉が最高とか福祉がいらないとかそういう話ではなくて、福祉にも権力悪があって。


'Take Sides'の原則。
常に、少数者、差別された人たち、
貧しい人たちの意見のほうに、より耳を傾けよう、
という考え方。


いつもフーコーはこういったことを明らかにして何が言いたいのだろうと長年思ってきた。
でも少し分かったような気がする。こういったことが明らかにする、意識化されるからこそある未来があるように思う。


コレクションを読んでいって考えや理解を深めていきたいです。コレクションの中には目次を見ると、フーコーの具体的な活動についての文章もあった。それも合わせて読みたい。