フーコー

Tさんが、フーコーだけ(あと現場のことを伝えてくれる本)読んでおけばいいと思うというようなことを言われていた意味が少しわかってきた。あとレヴィナスと一緒に言われているときもありました。


フーコーを読んだ後には、哲学・思想の読みが変わってくるかもしれない。
自己変革、目覚めに繋がるという意味ではハイデガー的であるし、ブッダ的だと思う、フーコは。
ただハイデガーみたいに自己変革へ目指すことなんてまったく明示しない(ハイデガーについて死後にいろいろ資料が出てきた分かったことなのかな、忘れてしまった)。
学問、哲学、歴史学をやっているうちに見えてくることがあって、それが目覚めに繋がっている感じがする。



またフーコーの読書に戻ることに。
ヘーゲルの入門本が届くので、それも合わせて読むけど。



フーコーって、
カント、デカルトスピノザショーペンハウアーニーチェハイデガープラトン、同時代のデリダなど、これまでの歴史上にある多くの大事なところを落とさずに批判して、自分の考えをぽろっとたまに言う感じ。フーコーが理解できればというのは確かにあるかもしれない。


でもカント、デカルトプラトン、ショーペンハウワー、ニーチェあたり少しは読んでおいたほうがいいのかもしれないけど。僕は少しでも読んでみて、読んだほうがいいと思いました。それにこれからも読みたい。