啓蒙とは何か フーコー カント

「よき読書の諸規則とその目的の指示」

まず読書に関する忠告についてですが、これは古代におこなわれていた実践に基づいています。読書の哲学的な原則はこの実践を取り上げ直しますが、本質的なことは変えません。第一の原則は、あまり著作や作品を読まないこと、作品を読むとしてもあまり多くの文章を読まないこと、重要かつ十分なものだとみなされている節を選んで読むことです。そのために、作品の要約といった、さまざまな実践がおこなわれたことはよく知られています。

1982年3月3日のフーコの講義から

ここに書いてある読書の原則を参考に、選ばれた論考を集めたフーコ・コレクションの中からさらに選んで「啓蒙とは何か」という論考を読んでいます。

カントの理性の私的使用と公的使用について論じている。柄谷行人と同じところにフーコーは着目している。

「私が提出したい仮説は、この小さな論文が、批判的省察と歴史についての考察との、言わば、連結説に位置する、というものだ。」フーコー『啓蒙とは何か』

フーコの『啓蒙とは何か』は、
なぜだかボードレールについて続いて言及している。
「人間とは、自分自身を自ら創出する人間のことなのだ。現代性は、『人間をその固有の存在へと解き放つことではない』。現代性は、人間を、自分自身を作り上げるという使命に縛り付けるのである。」

この啓蒙とは何かのカントの答えを『現代性の態度』としている。

「ひとは、外と内との二者択一を脱して、境界に立つべきなのだ。批判とは、まさしく限界について分析であり、限界についての反省なのだ。」

カントの「啓蒙とは何か」をまた再読したくなりました。

コレクションの別巻とこのフーコーの『啓蒙とは何か』の論考を読んで、やはりフーコーへのカントとニーチェからの影響はとても大きいと思いました。カントの問いを哲学的な態度とかエートスとかフーコーが言っていた。それがフーコーの歴史研究の態度とも重なる。