推理式指導読方

昨日の夜、『推理式指導読方』に関する三つの論文を熟読、再読しました。
戸田先生の国文法に項目に関する直接な情報は、
参考書のはじめのほうに、なぜ国文法の項目があるのか説明があるのですが、ほぼそれだけ。
ここの内容についてだけとても謎が残ったけれど、他の『推理式指導読方』の項目の特徴などは、三つの論文のおかげで、かなりよく分かりました。



思ったことは、
「蓋し作文は,既に有する思想を文章的に修述するにあり,正しく文章的に修述せんとせば,文法上の規則に則らさるべからず」(『全集 7』,225 頁)。
「人は無より有を生する能はず。吾人か茲に一文章を作らんとするや。必す先づ過去に於て学習したる文躰に則り。既習の熟字を集めて之を排列して始めて成効す」(『全集 7』,308 頁)
これらの命題など、

牧口常三郎から受け取ったものに対する戸田城外による全身全霊による応答だということ。


そこから考えると、その国文法の中身についても、ある程度、推論しイメージできるように思う。
『推理式指導読方』は戸田城外による一つの希有な応答だった。


僕も文法を大切にしたいと思う。もっと文法を重視しようと思いました。
それは教科書レベルのことを、丁寧に子どもたちに浸透させること。
これは文と文を観察するところからしか、文法の認識はあり得ないと思うので、
十分に比較し、文法の概念をよく理解できるように、
発見の過程をふませるように授業をしたいです。
といっても、教科書にある、小学校2、3年生なら、主語、述語、修飾語といった内容です。
自由作文も含め、
すべての教科や総合などで、文法の概念を意識し、作文できるようにすること。

これは僕の国語でもしワークショップ型の授業をするにしても、欠かせない要素になると思います、これから。
牧口も戸田も自由作文を国語科のゴールとしている。
WWだと自由作文が出発だとも言えるかもしれない。それを考えると対照的かもしれないやはり。

「自序」のところ凄く大事だ。さらっと読まないでよく考える事。

一、猶本書は小学国語読本を中心とせる平易なる国文法を記述したしたのは、一般児童の作文に際し、仮名文字使用の不正確なるを痛感し、これが現在国語教育の大いなる欠陥である。仮名遣いの習慣的使用による習得法を根本的に矯正せんとしたものである。また各説明の後に、入試問題との連絡の一項を設けたのは、最近の傾向として、国文法を取り扱った問題が多くなつたため、実例を挙げて説明したのであるから、殊にそこは注意して読んで欲しい。

旧字に今の字をあてました。
「仮名遣いの習慣的使用による習得法を根本的に矯正せんとしたものである。」
この部分、ただ読んで書くだけによる習得を批判している。
当時の素読など、まる暗記など、考えないで(工夫しないで)
学習するど根性的な学習に対する批判だと思う。


今分かるところまで、かなり認識できた。
あとは恩師のつてや、
中古市場に戸田先生の参考書が回ってくるのを期待するしかないです。