算数 理科 振り返り

今日の講師の先生は尖っていて凄い方でした。

脱線の推奨。指導書的な授業の完全否定。
授業のプロセスをとても大事にされていた。


計画は計画で大事だけど、
途中に子どもたちの自由な発想や解釈があることが大切だと僕も思いました。
ただそれができるかということだけど、
研究授業でなければ、普段の授業なら意識できる。


理科でも同じこと。
重さの単元を先取りしたけれど、
電子はかりじゃないと、もう子どもたちのめもりを読む誤差は多いし、雑なところもあって、データが不正確になってしまう。しかしそこをなぜか考えるのが大事だと思う。「誤差」って、実験にとって、とても重要な概念です。それを今日はみんなで考えることができました。1めもりくらいの誤差を許容すると、おおむね上手くいっていたのかもしれない。


形が変わると重さは変わるのだろうかというところだったのでした。
重さが変わってしまう班があって、
すべての班のデータが黒板にあって、
このデータ(結果)から、問題にどう答えることができるかと問いかけると、
「形が変わると重さが少し変わると分かりました。」と。
「へー、確かに、でどこを見てそう考えたの?」
「1班のところを見ると、65gから60gに形が変わると重さが少し変わっています。」
「そこを見ると、そうだね。でも4班のところを見ると、215gと215gで変わっていないよ。これについてどう考えたらいいだろうか。」
以下続く
僕はこのもう少し聴き合った後、教科書的な結論と正確にデータをとれていた班については教えました。その上で、なぜこのようなデータの違いが出てきたのかみんなで考えるように促して、「誤差」という概念に繋げてみました。




集団検討。最近の筑波の研究雑誌で学んだことを意識してやってみました。


「誤差」を知った上で、じゃあ、教科書の結論が本当なのか、もう一度うたがわしいと思っている人は調べてみようとかなったけど、あまり時間がなかったのが残念でした。みっちり2時間かかってしまった。

誤差が多すぎたかな。電子のやつでやっても誤差がでるくらいだから、電子のやつやればよかった。粘土で大きさ調節すれば、職場のでもやれた。たしか100gか200gまでいけた。


教科担任せいだから、他のクラスは改善できるかな。たぶん電子のやつでやっても、3.0gが2.9gとかになって誤差が出てくる。誤差が出てもちょっとで、このくらいでいいかな。一盛りが5gだから、アナログなはかりは、一目盛り読み違える5g違うことになってしまう。


中に重さが全然違ってしまっているところもあった。たぶん、新しい粘土が混入したり、分けている間に一部をはかりにのせ忘れたりそんなことだろうと思うけれど、それもつっこんで、なぜその班だけそんなに誤差が大きくなってしまったのか原因が解明したかったなあ。そういう時間がなかった。


教科担任ってそういう意味で難しい。
こういう場面で自分の学級だったら、きりのいいところまでところとんやるけれど、教科担任性だと時間の柔軟性がないので、そうもいかない。

学級担任制度のよさは時間をある程度、柔軟に調節できることかな。



電子のはかりに修正しよう。振り返り大事だ。寝よう。




かいしぶっていたこの本を思い出して読みたくなった。

レビューを読むと授業をどうするかという具体的な提案はやはりないらしい…。
でも重要なヒントになるかもしれない。



練り上げつつ、習熟もしてというので思い浮かぶものがある。
思考実験的な感じ。
全体でも練り上がるけれど、
個別にノートで思考実験してるみたいな。
そういうのをやりたいな、しかも繰り返し。



個人的には読書ですね。
学校の算数・数学教育では確かに数学の美しさみたいなものを感じたことは一切ありませんでした。
そういうものの片鱗でも感じることができたのは、算数・数学の読み物のおかげです。

幾何への誘い (岩波現代文庫―学術)

幾何への誘い (岩波現代文庫―学術)

他にもいくつかあるけど例えばこの本とか。
こういうの読んだ時に、ぐだぐだ言ってないで、まずこういう良書を読まないとはじまらないと率直に思った。今はこれがないとはじまらないとか、これだけとか思わないけど、算数・数学の魅力に気づける一つの大事なきっかけになるものだとは今でも思う。