教育

小学校、中学校、高校で、
もし一斉授業をメインとするなら、きちんとレディネステストをして(この部分が難しいのだと思う。高校、大学なら受験がレディネステストにある程度なっているので、多様な進学先があることが大切だろう)、
その単元や授業のデザインに合う子たちだけを集めて教育ができるようにするべきだと思う。その手順を省いて一斉授業をしても落ちこぼれが出てきてしまったり、簡単すぎて合わない子が出てきてしまったりという課題が合わないということが避けられないと思います。一斉授業は課題が集団の相手全員に合っている場合、効率が最高になると思う。状況次第だと思う。水泳だったら、グループ別練習の時間を、水泳を習っている子が多ければ長くするなどの時間の調節ができるかもしれない。相手次第。


何でもそうだけど、音楽のリコーダーで大きく遅れをとってしまった子はどうすればいいのかと思う。自分などの教員の指導力やその子が努力を怠ってきたことに原因があるかもしれないけれど、まったく授業についていけていない時のその時間は友達が演奏しているのを聴いているだけの時間になってしまう。ますますできなくなっていく。まだ学び合いの時間が少しでもミックスされていると違うのかもとも思う。それでもやらない子はなかなかやらないので、どうすりゃいいのかと悩みます。


算数もそうだけど、何でもそうかもしれないけれど、リコーダーなんかとくに躓いているところからやらないとできるようにならない。ドレミでどこ押さえるのかわかっていない、楽譜が読めないなど、人によって課題が違う。


いわゆる落ちこぼれ問題から出てきたオランダのオーダーメイド授業ってのはいいなあと思う。あとでテストではかれる力だけの問題じゃないんだと思う。その学んでいる時間がある程度幸せであることって重要だと僕は思います。そういう社会にしたいなあ。


今はオランダの教育、アメリカのインクルーシブ教育、ワークショップ教育が好きだなあ。テストの結果も大事だけどPISAなどのテストの結果だけでは見えてこない学力がある。
評価しにくいけれど、国の教育でどういう人材が育っているかは大切だと思います。これは家庭教育も含めて。家庭教育もものすごく大きな力をもっている。どういう人材といってもいろいろな分野がある。世界の研究をリードしているのはアメリカなんだろうなと思います。投票率にも教育の結果が出ていると思う。投票率が低い国の政治家の質は低い傾向にあると思う。投票率は大事な教育の成否を決める評価基準の一つだと思う。いくらテストで点をとっても、行動や実践できなければ価値がない。投票率が高くても歴史を考えるとどうしようもない政治家を当選させてしまい投票に失敗することもある。真実を見極める眼がどれだけ育っているか。



僕は学校教育にあわない時間が多かったのもあって、
オランダのイエナプラン教育やアメリカのインクルーシブ教育に共感することが多いですしそれらがベースにある教育のほうが好きですが、あれかこれかでは僕はないと思うので、
うまく使い分けられるようにすることが最も効率的で幸せだと思います。
一斉に進めたほうが効率的な部分とバラバラにやったほうがいい部分と、状況次第だと思います。自然発生的な状況と創り出す状況にもよると思います。理論はどこまでも相対的というのがもっとも確かな理論の一つ。


しかし僕はアメリカとオランダに共感します。バランスの問題を考えると、それらの国の方向の教育がメインのほうが幸せだと思う。そうならないかなあ。


みんなバラバラという事実から出発するほうがリスクが少ないと思う(バラバラで一緒なので両方なんですが、今の日本はバラバラの部分を軽視しすぎだと思う。最近インクルーシブ教育に関するレポートが文科省から出ていたけれど真剣にやってほしい)。そのことが教育のベースでその上に、目的や状況によっては均質集団をレディネステストなどでつくって一斉に指導したり、グループ学習をしたりすると経済的かと思う。あと理科は実験用具の問題もあるし、今の子たちは実体験が少ないので、みんなの課題になりやすい科目だと思う。