たぶん学び残しをゼロにするキーワードは
評価とフォローだと思う。ミニテストやミニパフォーマンステストなどで確実に評価をして目標を達成できなかった子たちをフォローする仕組みが絶対に必要だと思う。ここを疎かにして他に力を入れてもしょうがないと思うんだけどなあ。つまりはっきりとした仕組みが必要だと思う。ここのところはきちんと常に評価して振り返るべき課題だと思う。フォローの評価も必要。きちんとフォローできていたのか。必要なことはやるべきだと思う。必要ない仕事は徹底的にやめる。これが大事だと思う。授業自体の改善も大事だけど。



これだけではないけれど一つの大きな要因としては、一コマの授業の評価とフォローが確実じゃないから、落ちこぼれが出てしまう。高学年で学び残しが積もりに積もって大変なことになる。それはそれまでの評価とフォローに大きな問題があったということだと思う。またはやっていることがまったくその子に合わなかったのか。


僕のクラスで授業をしてくれた先生が言っていた、
全体で黒板にあることを写せてなかったら話にならないけれど、
それを使ってノートに正しく書けていても、
それでその子がその時間の学習目標を達成したとはわからない。つまりそれでは確実な評価はできない。
だからその先生は授業感想などの振り返りもいいだろうということをおっしゃっていました。僕はミニテストがやはり必要だと思う。毎時間はできなくても総括的なテストだけでは絶対に足りなくて、それでわかってもあとの祭り。テストで教師も子ども自身もそのこと評価して知ってフォローできる仕組みが必要。


学級レベルでやれるようにならないといけないけれど…。



凄く思うは
特別支援教育の文脈で環境改善を研究している学校などがあるけれど、
授業研究だけって視野が狭いと思う。
全体のシステムや環境改善に眼を向けないと根本的な解決は困難だと思います。授業という部分だけに眼を向けるだけではいけなくて、授業とそのほかのことの関係で考えないと問題を真に解決することはできないと思います。


研究といえば授業みたいなところがあると思う。これもすごくおかしいなと違和感があるところです。子どもがやる気になる教材開発の研究に特化してもいいと思うし、必ず指導案作って研究授業しなければ研究にならないということではないと思います。



一学期に1回ではなくて、
少なくとも毎週か月1回はフォローするための時間が必要だと思う。
ミニテストして学び残しがまったくなければ、その時間はいらないけれど。
僕が経験した学校はほとんどそうだったけれど、夏休みとか、学期に1回とかしかフォローのための時間がとられていない。あとは休み時間とかでしょ。問題があると思うなあ。ここをどうにかしないで授業研究ばかりしてもしょうがないと思うなあ。評価の部分をもっと確実にやってフォローするところに時間を使うべきじゃないかなあ。基礎学力や基本を身につける義務教育でそれより大事なことってある?いくら授業研究しても評価とフォローがしっかりしていないと永遠に問題は解決できないんじゃない?その授業だって評価があいまいということになると思う。総括テストだけだったら一つの一つの授業の評価があいまいになる。


ミニテストは子どもの評価でもあるし授業の評価でもある。



研究は問いがあれば研究になる。指導案の通りに研究するだけが教育の研究ではないと思う。



土曜授業なんていらないよ。みんなする必要ないじゃん。
きちんと評価して学び残しがある子を手厚くフォローしてあげることのほうが大事でしょう。



こうやって自分以外のことのせいにしたいだけかもしれないけれど、確かに問題があるとは思います。


授業もがんばって、フォローもがんばっているけれど難しいところもある。
支援の人がいないことがほとんどだし、よくがんばっている自分も認めるけれど…。とにかくフォローしきれるように最大限努力しよう。


ラッセルの反対の方向に行けば自ら首を絞めていくことになると思う。あー残念な方向に進んでいる。