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政治家というのは、その「当たり前」をすべての国民に押しつけ、それができなかった者を断罪することが仕事でしょうか。むしろ、「当たり前」に生きることのできない人々の事情に思いを寄せ、彼らの苦しみに耳を傾け、そこに救いの手を差し伸べることが責務なのではないでしょうか。
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まさにこの言葉を思い出しました、最近働いている時。
当たり前のことが当たり前にできない子たちがいる。
その子がもっている甘さもふくめてどうにか助けになることが自分の仕事。
少しでも+のループを創るのを助けたい。でもそういう子に限ってほとんど聴いていない。聴いている子はどんどん伸びていく。


スポンジのように教えたことを吸収していく子もいれば(どんどん+のループを創っていく。自分よりも自分が言ったことを覚えていてびっくりする。そして自分の想定を超えて伸びていく。)、
本当に水をザルで掬っているような気もちになる子も正直いました。
それでもその子のスピードで成長していて、自分も助けになれると思う。そうじゃないとその子にとって何の意味もない。冷静に考えるとその子のスピードで成長している。あせらないこと。+のループを少しずつでも創れれば、そのうち花開いていく。



聴いてなさそうで聴いている時もある。下を向きながら聴いている。



机の下に隠して本を読んでいるのを見つけて、にやっと笑いながら注意したけれど、
昔の自分の分身を見ているかのようだった。



ある子のことだけど、
名探偵シリーズ全巻読む→パンツマンときゃべたまたんていシリーズに今はまって一生懸命読んでいる。ある意味完全な没入状態でいいと思う。他のことをやらない。でも読書習慣がうまく根付いてくれれば一つ重要な+のループがその子にできる。