授業 チームか個人か

リーディング・ワークショップとライティング・ワークショップは、自分の中のひっかかり(問題)を解消するための方法の一つ。深めていきたい。

苫野さんの『教育の力』から
個別化、協同、プロジェクトそれぞれ、キーとなるトピック。

プロジェクトは、僕は個人プロジェクトを中心にやりたいかな。
アトウェルが文章の特徴を出す時にソロの後グループ活動をやるみたいに、局所的に、協同学習を使いたい。
最後のアウトプットは基本的に個人のほうが僕はいいと思う。個人の作品よりもグループの作品を評価するのは難しいから。それは教員にとっても、子どもたちにとっても、保護者のにとっても、そうだと思う。社会に出てもチームでパフォーマンスする機会は多いかもしれない。その中での個人の評価は当然あるけれど、まずチームとしての成果を評価される。学校教育の段階では、チームで何かを作るという経験もあってもいいとは思うけれど、基本的には個人にやらせたほうがいいような気がする。チームでパフォーマンスさせる時は、チームの中の個人の評価ということになる。これは個人の作品を評価するのとだいぶ違う。教科の目標によってチームでは、評価できないことが出てくるかもしれない。


例えば小学校三年生の社会科、古い道具を調べるところで、
暖房器具に変化についてチームで調べたとする。
たぶんそのチームのパフォーマンスで、一人ひとりの知識・理解を評価できないかもしれない。
そのチームのパフォーマンス、他のグループ(チーム)の発表を通して、その単元の目標に迫る。そして、個人に戻って何かを論述させるなどの個人のパフォーマンス課題の必要が出てくるかな。チームでやっても、また個人に戻れば評価できるか。



チームを作るにしても作らないにしても、
大きなテーマから暖房器具などの小テーマを出すプロセスが必要になるか。
暖房器具、冷房器具、洗濯など。チーム学習もありか。でも個人の本作りで今年度はチャレンジさせたいという気持ちが今のところ強い。一つの道具の歴史の探究を深めることがそのまま学習指導要領の教科目標の達成に直結している。チームと個人の探究を選べる、発表の方法も選べるという選択肢もある。これは難しそう。自分がその授業を上手くファリテーション・リードできる自信がない。基本的に本という作品に個人がチャレンジするというやり方がいいかな、やってみたいかな。チームだとチームの作品はあっても、その個人の本(作品)がない。ポートフォリオファイルにもチームの作品だと入れられない(でもこれは作品によるか)。個人で取り組んだ作品が残るって何にも代えられないように思う。まあ、チームでも同じ。チームだったら、役割分担が明確されているかということが問題。

音楽のバンドでいえば、それぞれ担当する楽器があって、作曲する人、作詞する人など役割がある。音楽をレコーディングするとして、一つのチームの作品としても個人を評価することも役割ごとにできる。それは他のどの分野でも変わらない。





前の三年生でも、似たようなコンセプト(強制の中に自由がある)で授業したけれど、粗かった。今年度はできるだけ改善したい。



自分だったらって考えると、僕はチームではなくて、個人で学習したいかな。その方が僕は学びやすい。個人で探究していて、本など、資料とか、分からないところとか、ゆるく繋がって助け合えるほうがやりやすいかもしれない。


ブッククラブのメリットをたくさん実感しているけれど、
今年度ブッククラブをしない予定。
今ペア読書を自分自身がしているけれど、
これは本当に読みたい本が重なっているおかげで、幸せな結果になっていると思う。


何だろうまたTさんの言葉に戻ってしまうのだけど、チームでやらないといけないことに関するリスクやデメリットがあると思う。みんなでやることがしんどい子もいる(僕もそっちタイプかもしれない)。もしチームでやるという場合、そこには個人でやることの自由が保証されていることが必要かもしれない。しかしその逆もなのか…。ただチームに限定するよりも、個人に限定してゆるく繋がっているほうが、リスクが少ないかもしれない。



例えばライティング・ワークショップで、ペアで作品を作る方法があるけれど、ごちゃまぜで(役割分担があいまいに)、一つの物語を作ったとすると、もうその作品を個人として評価するのはかなり困難になると思う。評価できないことはないけれど、どの部分を書いたのか、どの部分を考え出したのかとか、調べないといけない。またはそれが分かるように書かせないといけない。そんなことは現実的ではないかもしれない。ライティング・ワークショップの書くことは、基本的に個人の学習としたいと思う。それと同じことで、読むことも基本的に個人だと思う。



チームか、個人か、また両方か(選択できる)。方法の原理に帰ると、それも目的と状況次第か。そりゃあ、そうだ。チームだからこそできるパフォーマンスがある。それは大人も変わらない。決して、一人ではできない仕事がチームだからこそできるということがたくさんあるのだ。ただ公立の学校教育の学習の場として、その目的と子どもたちから考えてどの方法がより適しているのかという問題。