脱構築

個別化の中にそろっていることの価値を見出すって、
今自分が考えたプロセスを考え直してみると、脱構築的な思考をしているかもしれないと思った。

これでしっかり論じることができていたら、脱構築と言えるのかもしれない。分からない。


イエナプランの脱構築とか、○○の脱構築
レポートではなくて、教育論文書けるかも。
メタ認知の視点で、リーディング・ワークショップを考えるという内容で、学術論文になっていたくらいだし(もし未知の領域ならメタ認知の観点で○○を考えるというだけで論文が他にも書けるはず)、脱構築が流行った時には、それで学術論文を書いた人がたくさんいたとどこかで読んだことがある。


ただ学術論文となると大変なので、
全然それで学術論文を書きたいという欲求が微塵もないので書けないと思う。
しかし脱構築的には素人なり考えてみたいかもしれないと思いました。


脱構築はたんなる流行ではなくて、帰納法演繹法と一緒で、普遍的な思考法の一つだと思う。