ウィギンズらの『理解をもたらすカリキュラム設計』の中に、よくない事例の授業として網羅的な授業があったけれど、まさにそれでした。

アクティブ・ラーニングを教えながら、
アクティブ・ラーニングの視点から真逆に突き進む授業で、アクティブ・ラーニングの必要性が出てきたところを体験させたかったのかもしれない。

午後の授業がはじまると眠たくなる時間だからと、パワーポイントの穴埋めのところが紹介されて、自分は馬鹿にされているとしか思えなかったけれど(午前中に学んだ「深い学び」って何ですか?)、そうやってアクティブ・ラーニングから逆行する苦しみと虚無感の中で、アクティブ・ラーニングの意味を伝えようとする試みだったのかもしれない。パンフレットみたいな網羅的な薄い知識を80分間ノンストップでマシンガントークしていました。

一日なら耐えられるけれど、毎日だと気が狂ってしまうかもしれない。

みんなで手をつないで一斉にダメになっていく、そんな悲しみと虚無感を味わえる時間でした。