アリスストテレスは、ブッダなどと違って、現世に肯定的だったらしい(新仏教にも現世肯定的な思想と厭世的なものがありますね)。この違いは状況からも出てくると思う(ひどい状況を生きていれば遠征的にもなる)。しかし、どんな状況であれ、現世、肯定的であるという強靭な人もいるかもしれない。どちらかというと僕は、アリストテレスよりかな。人によって、その世界がどうか大きく変わりますからね。そこに可能性や希望がある。

特にそのチーム、社会、国のリーダーは愚かだとその、チーム、社会、国の不幸は大きくなる。歴史上、ひどい権力者がどこの地域にも出てきた。さらには、集まっている人で多くが決まる。

哲人政治だろうが、民主制だろうが、そこにいる人間が愚かだと、不幸が多くなる。民生制もみんなで賢明なっていかないと衆愚政治になってしまう。

教育って、やはり大事だと思います(時に教育って、そもそも手放しでいいものだと言えるのかなと時々、疑いますが)。

人の成長、人格の形成(その人の幸せな生活、人生もだけど)に、シンプルに教育の仕事の主軸がある。その先にしか、良い社会も世界も国もないから。

僕は、人生にもこの世界にもできるだけ肯定的でありたいと思うよ。そうではなければ、教育なんてやる意味ないよと思ったけど、賢明になれば、この世界が酷くても、厭世的になっても、愚かな不幸を避けやすくなるから大いに意味があるか。でも、積極的に現世肯定的に、この世界にも人にも、その可能性を信じたいと思います。